笛と鼓と生け花と……
大河ドラマ『おんな城主 直虎』第2回まで拝見しました。
直虎は秀吉と同年生まれ!?
井伊直虎に関する史料は乏しく、実像は定かではありませんが、生年は豊臣秀吉と同じ頃(1536年前後)ではないかという説があるそうです。直虎の存在そのものが創作という説もあるようですが、興味が湧いてくるではないですか。
直虎は遠州(静岡)の国境付近の国衆の姫君として生まれました。秀吉の出自も不詳ですが、尾張(愛知)の足軽(あるいは、農民)の子として生まれたというのが通説です。
直虎が亡くなったのは1582年、46歳頃。1582年は、武田を滅ぼした織田信長が、本能寺の変で自害し、上杉は滅亡の危機を免れ、家康は伊賀越えをし、山崎の合戦で明智を滅ぼした秀吉が、天下取りに動き始めた時期です。
真田丸:桃山文化
昨年の『真田丸』で描かれたのは、1582年から1615年の大坂夏の陣まで。ドラマの中盤では、大阪城や聚楽第などを舞台に、豊臣家の人々、千利休、吉野太夫、出雲阿国、呂宋助左衛門など、さまざまな階層の人々が登場し、彩り豊かな桃山文化が目を楽しませてくれました。
秀吉の衣装の中でも、腕の周囲に青い鳥の羽を埋め込んだ金地の「蜻蛉燕文様陣羽織」は特にインパクトがありました。秀吉に比べると地味ですが、城主になった直虎も、メリハリの効いた華やかな色柄の衣装をお召しです。
直虎:室町文化から桃山文化へ
『おんな城主 直虎』は、室町文化から桃山文化へと移り変わる過渡期にあたります。
第4回まで、直虎の子ども時代(おとわ)が描かれます。井伊の居館は簡素な造りで、井伊谷には市もあるけれど、物資は豊かではありません。しかし、文武を修得する龍潭寺があり、亀之丞の笛、父上の生け花、おとわの鼓など、室町文化の豊かさを地方の人々も享受していた様子が伺えます。このような描写が、ジブリ作品と重なるのかもしれませんね。
僧侶になった直虎が還俗し、城主になるのは1565年。直虎の功績のひとつは領主として行った社会政策なので、井伊谷の人々の暮らしや文化が丁寧に描かれるのではないでしょうか。
とはいえ、父上は、今川が織田に敗れた桶狭間の戦い(1560年)で討ち死に。亀も鶴も無残な死を迎えます。成長し、家康の家臣となった直政は、伊賀越え(1582年)に従っています。ドラマではどのように描かれるのでしょうか。
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